おせち料理の歴史

ほとんどの地方のおせち料理の代表的なものは黒豆、かまぼこ、紅白なます、田作り、栗きんとんなどですね。このおせち料理が現在のようになったのは江戸時代の後期です。宮中の「お節供」から民間におせち料理だけ広まったそうです。本来は「年迎え」の膳として大晦日に食べるものでしたが、北海道の一部では大晦日に食べる風習が残っていますが、ほとんどの地方では元旦以降に食べるのが普通になりました。

おせち料理を作る目的はなに

おせち料理を年末に作って作りおきするのは、女性を休養させるためと言う説と、お正月の神様をお迎えしているときに煮炊きする事を慎むという説等があります。庶民がおせち料理を楽しむようになってから200年くらいしか経っていませんが、地方により様々な形になって親から子へと変化しながら受け継がれています。私の小さい頃はお肉や生のお魚は見ることができませんでしたが、最近は保存技術が進み、生もの、珍味、フライドチキンやお刺身などなんでもありです。また、おせち料理を自宅で作らずに既成の詰め合わせのおせち料理を、三越や高島屋、伊勢丹などの百貨店、インターネット上の店舗、コンビニエンスストア、ショッピングモール等で予約して購入する方も増えています。料理を重箱に詰めるのは、めでたさを“重ねる”という意味の縁起をかついだものであり、同様の意味から雑煮もお代わりするのが良いといわれています。

おせち料理の意味は

黒豆(健康)、数の子(子孫繁栄)、田作り(豊年豊作祈願)、昆布(喜ぶ)、かちぐり(勝つ)、鯛(めでたい)、里芋(子宝)、伊達巻(知識が増えること)、鰤(ブリ)の焼き物(出世祈願)、海老の焼き物(長寿祈願)、鰻(うなぎ)の焼き物(出世祈願)、くわい(出世祈願)、蓮根(先見性)トコブシ(福がたまる)などのように元旦に、無病息災と子孫繁栄の願いを込めて、食べ物の形や名前を江戸時代の町人がユーモア溢れる語呂合わせに託しました。おせちは五段重が基本で、一の重が祝肴・二の重が酢の物・三の重が焼き物・与の重が煮物・五の重が控えの重です。お正月に神に供えたおせち料理を下げてきて、一族が感謝を込めて分かち合って食べ繁栄を願いましょう。あまった料理も工夫次第で美味しく活用できます。栗きんとんは、ビスケットやふかしたかぼちゃに混ぜてパイなどのお菓子にしたり、あんこ代わりにします。お煮しめは細かく刻んで酢飯に混ぜてちらし寿司にすると美味しくいただくことができます。